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横浜地方裁判所 昭和54年(ワ)1814号 判決

原告 中原つる子

同 中原芳男

右両名訴訟代理人弁護士 伊藤伴子

被告 斉藤博

右訴訟代理人弁護士 藤井暹

同 西川紀男

同 橋本正勝

右藤井暹訴訟復代理人弁護士 太田真人

水沼宏

主文

一  被告は、原告中原つる子に対し、二七三六万六一六五円及びうち二四三八万六二四四円について昭和五四年一〇月五日から、うち二四九万円についてこの判決確定の日の翌日から各支払済みまで年五分の割合による金員、同中原芳男に対し、一九八万円及びうち一八〇万円について昭和五四年一〇月五日から、うち一八万円についてこの判決確定の日の翌日から各支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決は、原告ら勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告中原つる子に対し、三〇七四万二七二九円及びうち三〇二五万二八〇八円に対する昭和五四年一〇月五日から支払済みまで年五分の割合による金員、同中原芳男に対し、三三〇万円及びこれに対する右同日から支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  本件事故の発生及びその後の経緯

(一) 原告中原つる子(以下「原告つる子」という。)は、昭和四二年五月八日、斉藤産婦人科医院において、被告の執刀により、子宮筋腫の手術(以下「本件手術」という。)を受けたが、その際、被告は、同原告の子宮内にガーゼを置き忘れて縫合した(以下、これを「本件事故」という。)。

(二) そのため、その後、原告つる子は、激しい疼痛及び腹痛を生じ、昭和五二年五月二七日、産婦人科畑中医院(以下「畑中医院」という。)に入院し、同日、卵巣腫瘍の手術を受けたが、直腸に食い込んでいた前記ガーゼが発見され、これを剔除するため直腸に穴があき、子宮は腐蝕していた。

(三) そこで、同年七月一日、畑中医院から、東京医科歯科大学医学部附属病院(以下「東京医科歯科大学病院」という。)に転院し、人工肛門造設手術を施行して、同月二八日退院したが、同病院の指示により、患部洗浄のため、同年八月から昭和五三年四月までの間、畑中医院に通院した。

(四) 昭和五三年四月一七日、原告つる子が、人工肛門閉鎖術施行のため、東京医科歯科大学病院に再入院したところ、同年五月二〇日、多量の出血をし、その輸血によって肝炎が発生し、また、腹部にヘルニアが認められた。

(五) 同年七月一六日、右病院を退院後、更に、同月一八日から同年八月一二日まで、肝炎治療のため、畑中医院に入院し、以後次のとおり、同医院に入院・通院を繰り返した。

昭和五三年八月 通院二日

同年九月 入院五日 通院一一日

同年一〇月 入院五日

同年一一月 通院三日

同年一二月 通院一三日

昭和五四年一月 入院四日 通院一九日

同年二月 入院四日 通院七日

同年三月 入院一二日 通院七日

(以後昭和五五年二月まで通院)

(六) その後、原告つる子は、昭和五四年五月二三日、腹壁瘢痕ヘルニア、肝炎により、九段坂病院に入院し、同年六月二五日、ヘルニア根治術が施行され、同年七月二九日退院したが、昭和五五年七月まで、肝炎治療のため、二週間に一度の割合で同病院に通院した。

(七) 原告つる子は、昭和五四年一二月一九日から同月二六日までの間及び昭和五五年二月二七日から同年三月一一日までの間、薬の多用による胃潰瘍、肺炎により、漆原病院に入院したほか、次のとおり同病院に通院した。

昭和五四年一二月 通院八日

昭和五五年一月 通院九日

同年三月から九月一七日まで二週間に一回の割合で通院

2  因果関係

原告つる子は、本件手術を受けるまでは、人並み以上に健康であり、病気一つしたことがなかったが、同原告の体内に置き忘れられたガーゼのため、昭和五二年五月二七日に畑中医院で前記手術をして以来、前記のとおり入退院を繰り返すようになり、その身体が衰弱したものである。

3  被告の過失

(一) 医師としては、手術の終了に際し、ガーゼ等の手術に使用した部品が患者の体内に残存していないかを十分探索する注意義務がある。

(二) しかるに、被告は、右注意義務を怠り、本件手術の際、原告つる子の体内にガーゼを置き忘れて縫合したものである。

4  損害

(一) 原告つる子 三〇七四万二七二九円

(1) 治療費 合計一六三万一八六九円(被告から既に受領した二二一万七九二〇円を控除したもの。うち昭和五四年一〇月四日以前のもの一一八万四四八円、同月五日以降のもの四五万一四二一円)

(2) 通院費 合計五万六一二〇円(うち昭和五四年一〇月四日以前のもの一万七六二〇円、同月五日以降のもの三万八五〇〇円)

(3) 朝鮮人参等薬代 合計五六万六七〇〇円

(4) 逸失利益

原告つる子は、本件手術当時、満四三歳の健康な主婦であり、満六七歳に達するまで少なくとも女子労働者の平均賃金収入を得べかりしものであったところ、昭和四二年五月八日から同五二年五月二六日までの間は、腹部臓器の機能に障害を残し、労働能力の三五パーセントを喪失し、同年五月二七日以降は、その七九パーセントを喪失したものである。そして、労働省雇用統計課昭和四二年度女子平均賃金二五万四七〇八円によると、同四二年から同四六年まで三八万九〇六七円、同四七年度賃金センサス第一巻第二表企業規模計、学歴計女子労働者賃金七三万五二〇〇円によると、同四七年から同五二年五月二六日まで一一二万三〇二一円、同五二年度賃金センサス第一巻第二表企業規模計、学歴計女子労働者賃金によると、同五二年五月二七日以降一四一八万五九五二円の収入を得ることができたのであり、その総額は一五六九万八〇四〇円である。

(5) 慰藉料

前記のような後遺障害を被った原告つる子の慰藉料は一〇〇〇万円が相当である。

(6) 弁護士費用

原告つる子は、被告が損害を賠償しようとしないため、本訴の提起を原告訴訟代理人に依頼したが、同原告が被った損害額の約一割である二七九万円の右代理人に対する報酬は、本件事故と相当因果関係のあるものである。

(二) 原告中原芳男 三三〇万円

(1) 慰藉料

原告中原芳男(以下「原告芳男」という。)は、昭和二一年一〇月二五日、原告つる子と婚姻したが、うち半分の歳月を本件事故による原告つる子の看病に尽くしたものであり、生活を共にする夫として、多大な精神的苦痛を長年月にわたり受けたもので、これは三〇〇万円に相当する。

(2) 弁護士費用

原告芳男は、被告が損害を賠償しようとしないため、本訴の提起を原告訴訟代理人に依頼したが、同原告が被った損害額の一割である三〇万円の右代理人に対する報酬は本件事故と相当因果関係のあるものである。

よって、原告らは、被告に対し、不法行為による損害賠償請求権に基づき、原告つる子に三〇七四万二七二九円及びうち三〇二五万二八〇八円に対する昭和五四年一〇月五日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金、同芳男に三三〇万円及びこれに対する右同日から支払済みまで同法所定の年五分の割合による遅延損害金をそれぞれ支払うことを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1について

(一)のうち、被告が、原告つる子の子宮内にガーゼを置き忘れて縫合した事実は否認し、その余は知らない。

(二)ないし(七)はすべて知らない。

2  同2について

否認する。原告つる子の後遺症は、畑中医院において卵巣腫瘍の手術を受けた時、畑中医師が、同原告の直腸にゆちゃくしている腫瘤を除去した際、誤って直腸に穴をあけ、そのため腸内の汚物が腹腔内に侵潤した結果によるものである。

3  同3について

(一)を認め、(二)を否認する。

4  同4について

すべて知らない。

三  抗弁

1  原告らは、昭和四二年五月八日の時点において、被告が、前記ガーゼを原告つる子の体内に置き忘れたことを知っていた。

2  昭和四二年五月九日から三年が経過した。

3  被告は、本件訴訟において、右消滅時効を援用する。

四  抗弁に対する原告らの認否

抗弁1の事実は否認する。

第三証拠《省略》

理由

一  本件事故の発生及びその後の経緯

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

1  原告つる子は、昭和四二年五月上旬ころ、被告の経営する斉藤産婦人科医院(以下「斉藤医院」という。)で、子宮筋腫との診断を受けて、手術をするよう被告からすすめられ、同原告は、そのころ斉藤医院に入院して、被告の執刀により、本件手術を受けた。

2  同原告は、本件手術後九日目か一〇日目に斉藤医院を退院し、術後の経過も良好ではあったが、一か月検診まで激しい便秘が続き、その後も度々便秘があり、右検診から約一か月後には、右下腹から腿の付け根にかけて攣ったので、右医院へ三、四日通院し、被告の投薬で一応右症状はおさまったものの、以後、一か月ないし二か月くらいの間隔で同様攣る状態が再発し、昭和四八年秋ころまで、その都度、右医院へ通院し投薬を受けていた。

昭和四九年ころからは、両足の付け根が攣り、下腹に胎動のようなものを感じるようになり、腹部がかなり膨らみ、長時間止まらない咳が出、肩が張り、食事もやっと一膳が食べられる程度になり、すぐ横にならねばならないような状態となった。

4  昭和五二年五月ころから、右胎動のような症状が激しくなり、腹部の膨らみも一層大きくなり、右下腹から足の付け根にかけての攣りが激しくなり、ひどい痛みがあったので、同月二〇日ころ、畑中医院で診察を受けたところ、卵巣膿腫の疑いと診断され、この膿腫を取り除くため、同月二七日にその手術を受けたが、その際、取り除いた腫瘤の中から、約三〇センチメートル四方のガーゼ三枚が発見された。

5  右手術後、約二週間は経過も良好であったが、その手術の際、ガーゼを覆っていた増殖した結締組織の腫瘤の片側の壁が直腸壁となっていたため、右腫瘤を取り除こうとして直腸に穴があき、右損傷した腸壁を縫合したものの、接合状態が悪く、腸から出てくる排泄物を肛門と膣と両方から排泄するようにし、常時洗浄するようにしたが、発熱が続いたので、畑中医師の指示に基づき、七月一日東京医科歯科大学病院へ転院し、糞瘻、後腹膜膿瘍と診断され、同日、同病院において、人工肛門造設手術を行い、同月二八日、同病院を退院した。

6  右退院後も、八月中は、人工肛門の洗浄のため、畑中医院へ毎日通院し、その後も同医院への通院を継続していたが、原告つる子は、その間自分の身の回りのことしかできず、他の家事等はすべて原告芳男がやっていた。

7  昭和五三年四月一七日、人工肛門閉鎖術施術のため、東京医科歯科大学病院へ再入院し、同年五月四日にその手術を受け、同月一四日までは順調な経過だったが、同月一五日夜、腸の縫合個所の血管が切れて多量の出血をしたため輸血したところ、血清肝炎になり、また、右入院中、腹壁瘢痕ヘルニアも併発していた。

8  七月一六日、血清肝炎は治癒しないまま、東京医科歯科大学病院を退院し、同月二〇日、畑中医院に入院することとなった。その後いったん退院したものの、同医院へ五回入院退院を繰り返した外、東京医科歯科大学病院をも含め、頻繁に通院していた。

9  その間、前記ヘルニアが次第に大きくなったため、昭和五四年五月二三日、九段坂病院に入院し、同年六月二五日、ヘルニア根治術を施行し、いったんはヘルニアは治癒したが、肝炎は依然として治癒しないまま、七月二九日、同病院を退院した。

10  その後は、肝炎治療のため、九段坂病院へ通院するとともに、昭和五四年一二月一九日から同月二六日までの間及び昭和五五年二月二七日から同年三月一一日までの間、胃潰瘍及び肺炎のため、漆原病院に入院加療した外、同病院へも通院するようになった。

11  昭和五七年一月ころには、咳が出て、身体がけいれんしたために、約一週間、漆原病院に入院した。

12  現在、原告つる子は、暖かいうちは、多少洗たくや夕食の準備などの家事をすることができるものの、その外の家事は自分ですることができず、ほとんど夫である原告芳男がこれを行っており、昼間は病院へ通院する外、寝たり起きたりの状態である。

以上の事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

二  被告の過失

原告つる子が、昭和四二年五月ころ、斉藤医院で、被告の執刀により、子宮筋腫の手術を受けたことは前記認定のとおりであり、更に、《証拠省略》によれば、同原告は、前記ガーゼが発見された畑中医院での手術を受ける以前には、本件手術以外の開腹手術は受けていないこと、畑中医院での右手術の際、同原告の子宮と直腸との間のダグラス窩に直腸とゆちゃくした腫瘤があり、その中から前記ガーゼが発見されたこと、前記ガーゼが発見された個所は子宮筋腫などの手術の際、止血のためにガーゼで押さえることがありうる個所であったこと、発見された前記ガーゼは、古いものであったことを認めることができ、右各事実を総合すれば、前記ガーゼは、本件手術の際、原告つる子の腹腔内に遺留されたものであることを推認することができ、右認定に反する証拠はない。

およそ、医師としては、開腹手術に使用したガーゼ等を患部に残存させたまま腹部を縫合したならば、重大な結果の発生を招来することは当然予見し得ることであるから、開腹手術を行うに際し、ガーゼその他手術に欠かせない必要用具を使用するに当たっては、常に万全の注意を払い、手術の前後にその個数を点検し、手術の終了に際し、このような用具が患部に残存していないかどうかを十分に探索する等の措置を採るべき手術上診療上の注意義務があるというべきところ、前記認定のとおり、被告は、本件手術の際、原告つる子の腹腔内にガーゼを取り残したまま再び腹部を縫合して手術を終了したものと認められるのであるから、被告には右注意義務違反の過失があるというべきである。

三  因果関係

1  昭和五二年五月二六日までの症状について

前記認定の事実及び《証拠省略》によれば、前記一2の症状は、本件手術直後から現れ、その後、同3及び4の症状へ発展したこと、原告つる子は、本件手術前には病気一つしたことのないほど健康であったことが認められ、右認定に反する証拠はない。

したがって、前記一2、3及び4の右原告の各症状は、他にその原因となるべき特段の事情が認められない限り、被告の前記過失行為に基づくものと推認するのが相当である。

2  昭和五二年五月二七日以降の障害及び症状について

前記認定の事実及び《証拠省略》によれば、昭和五二年五月ころから、原告つる子は、下腹の胎動のようなものが激しくなり、腹部の膨らみも一層大きくなって、右下腹から足の付け根にかけて攣りが激しくひどい痛みがあったこと、同月二〇日、畑中医院において、卵巣膿腫の疑いと診断され、同月二七日、同医院において開腹手術を受けたこと、開腹した際、腫瘍があり、右腫瘍は通常の卵巣膿腫とは異なっていたが、畑中医師は、以前に手術したために、異常なゆちゃくが生じているものと判断したこと、同医師はこれを周囲からはく離していったが、通常、卵巣膿腫の場合には、卵巣の壁と直腸とは別個の組織であるから、直腸に幾分傷をつけることはあっても、直腸に穴があくようなことはないこと、ところが、右腫瘍はガーゼのまわりに増殖した結締組織によってできた腫瘤であり、その一方の側壁が直腸壁であったため、腫瘤をはく離するに当たって直腸にうずらの卵大の穴があいてしまったこと、右の腸壁損傷はガーゼを覆った腫瘤を剔除するためには技術的に不可避であったことを認めることができ、右認定に反する証拠はない。

そして、《証拠省略》によれば、血清肝炎は輸血によって生じるものであり、腹壁瘢痕ヘルニアは手術後の栄養不足によって生じることが認められ、これらは前記認定の経緯により発生したものであるから、右血清肝炎、腹壁瘢痕ヘルニア等も被告の前記過失との間に相当因果関係があるというべきである。

更に、前記認定のとおり原告つる子は、本件手術以前には病気一つしたことのないほど健康であったこと、昭和五二年五月二七日以降の前記各症状は、頻繁に入通院を繰り返すうちに生じたものであり、これらは遺留ガーゼを覆う腫瘤摘出手術に基因するものであると認められるから、右各症状についても、他にその原因となるべき特段の事情の認められない限り、被告の前記過失行為に基づくものと推認するのが相当である。

四  損害

1  治療費(一五八万一九一四円)

《証拠省略》によれば、原告つる子が、前記認定のとおり、前記の各病院へ入通院を繰り返したことによって要した治療費は、三七九万九八三四円(うち昭和五四年一〇月四日以前のもの三三四万八四一三円、同月五日以降のもの四五万一四二一円)であることが認められ、右認定に反する証拠はない。原告らが主張するその治療費については、これを認めるに足りる証拠がない。ところで、右治療費のうち二二一万七九二〇円については、原告つる子において、被告から既に支払を受けていることを自陳するところである。

したがって、原告つる子は、治療費として、三七九万九八三四円から二二一万七九二〇円を控除した一五八万一九一四円(うち昭和五四年一〇月四日以前のもの一一三万四九三円、同月五日以降のもの四五万一四二一円)の損害を被ったものということができる。

2  通院費(五万六一二〇円)

《証拠省略》によれば、原告つる子が前記各病院に通院するための交通費として、五万二一二〇円(ただし、付添者の交通費三回分二三四〇円を含む。うち昭和五四年一〇月四日以前のもの一万三六二〇円、同月五日以降のもの三万八五〇〇円)を要したことが認められ、更に、《証拠省略》によれば、原告つる子は、右の外、昭和五四年二月一九日から同年五月二一日までの間に東京医科歯科大学病院に八回通院したこと、同年一月当時、右通院には一回五〇〇円の交通費を要したことが認められ、右認定の各事実を総合すれば、右期間の通院費として四〇〇〇円を要したと認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

したがって、原告つる子は、通院費として五万六一二〇円(うち昭和五四年一〇月四日以前のもの一万七六二〇円、同月五日以降のもの三万八五〇〇円)の損害を被ったものということができる。

3  逸失利益(一八五三万八一三一円)

前記認定の事実及び《証拠省略》によれば、原告つる子は、大正一二年一一月六日生れの女性であって、本件手術までは病気をしたことがないほど健康であったことが認められ、右認定に反する証拠はない。

しかるに、前記認定のとおり、本件手術後、原告つる子は身体に変調を来し、種々の疾病を併発するようになり、入通院を繰り返す状態になった。右事情による同原告の逸失利益は、次のとおり認定するのが相当である。

(一)  昭和四八年まで

前記認定のとおり、同原告は、度々便秘があり、時々右下腹から腿の付け根にかけて、攣り、その都度斉藤医院へ通院していた。しかしながら、右の突っ張る状態は、一か月ないし二か月の間隔で生じたものであり、また、《証拠省略》によれば、右通院は、昭和四八年には、二、三回であったことが認められ、したがって、本件手術によって、同原告の身体に右のとおりの変調を生じたことは認められるものの、未だ、これによって、同原告が労働能力を喪失したとまで認めることはできない。

(二)  昭和四九年から同五二年五月二六日まで

前記認定のとおり、右期間、同原告は、両足の付け根が攣り、下腹に胎動のようなものを感じるようになり、腹部がかなり膨らみ、肩も張るような状態で、食事もやっと一膳が食べられる程度になり、すぐ横にならねばならないという状態であった。これらの症状を、昭和三二年七月二日基発第五五一号による労働基準監督局長通牒、自動車損害賠償保障法施行令別表等に照らして考えると、右期間の同原告の労働能力喪失率は障害等級第一一級二〇パーセントと認めるのが相当である。

ところで、昭和四九年度ないし同五二年度の各賃金センサス第一巻第一表企業規模計学歴計女子労働者賃金によると、同四九年度の毎月決まって支給する現金給与額は八万一六〇〇円、年間特別給与額は二四万四四〇〇円であるから、一年間の平均収入は一二二万三六〇〇円となり、同五〇年度の毎月決まって支給する現金給与額は九万七六〇〇円、年間特別給与額は三二万七〇〇〇円であるから、一年間の平均収入は一四九万八二〇〇円となり、同五一年度の毎月決まって支給する現金給与額は九万八四〇〇〇円、年間特別給与額は二七万五二〇〇円であるから、一年間の平均収入は一四五万六〇〇〇円となり、同五二年度の毎月決まって支給する現金給与額は一〇万九八〇〇円、年間特別給与額は三一万七七〇〇円であるから、一年間の平均収入は一六三万五三〇〇円となる。

したがって、右期間の原告つる子の逸失利益は、次のとおりとなる。

(1) 昭和四九年度 二四万四七二〇円

(1,223,600×0.2=244,720)

(2) 同五〇年度 二九万九六四〇円

(1,498,200×0.2=299,640)

(3) 同五一年度 二九万一二〇〇円

(1,456,000×0.2=291,200)

(4) 同五二年度(一四六日分) 一三万八二四円

(1,635,300×0.2×146/365=130,824)

合計 九六万六三八四円

(三)  昭和五二年五月二七日以降

前記認定のとおり、原告つる子は、畑中医院での手術以降、次々と疾病を併発し、入通院を頻繁に繰り返すようになり、家事もほとんどできず、昼間は寝たり起きたりの状態となったが、これらの症状を前記通牒及び別表等に照らして考えると、同原告の労働能力喪失率は障害等級第五級七九パーセントと認めるのが相当である。

ところで、昭和五二年度ないし同五五年度の各賃金センサス第一巻第一表企業規模計学歴計女子労働者賃金によると、同五二年度の一年間の平均収入は、前記認定のとおり、一六三万五三〇〇円となり、同五三年度の毎月決まって支給する現金給与額は一一万三三〇〇円、年間特別給与額は三一万四一〇〇円であるから、一年間の平均収入は一六七万三七〇〇円となり、同五四年度の毎月決まって支給する現金給与額は一一万九三〇〇円、年間特別給与額は三一万六五〇〇円であるから、一年間の平均収入は一七四万八一〇〇円となり、同五五年度の毎月決まって支給する現金給与額は一三万円、年間特別給与額は三六万二八〇〇円であるから、一年間の平均収入は一九二万二八〇〇円となる。

そして、本件口頭弁論終結時である昭和五七年一〇月二七日、原告つる子は五八歳であったから、就業可能であると認められる六七歳に至るまでの九年間の逸失利益については、右昭和五五年度の平均収入からホフマン係数により中間利息を控除して計算するのが相当である。

したがって、右期間の原告つる子の逸失利益は、次のとおりとなる。

(1) 昭和五二年度(二一九日分) 七七万五一三二円

(円未満切捨)

(1,635,300×0.79×219/365=775,132.2)

(2) 同五三年度 一三二万二二二三円

(1,673,700×0.79=1,322,223)

(3) 同五四年度 一三八万九九九円

(1,748,100×0.79=1,380,999)

(4) 同五五年度 一五一万九〇一二円

(1,922,800×0.79=1,519,012)

(5) 同五六年度 一五一万九〇一二円

(1,922,800×0.79=1,519,012)

(6) 同五七年度以降 一一〇五万五三六九円

(円未満切捨)

(1,922,800×0.79×7.278=11,055,369.336)

合計 一七五七万一七四七円

総合計 一八五三万八一三一円

4  慰藉料

(一)  原告つる子(四七〇万円)

前記認定の事実及び《証拠省略》によれば、原告らは、昭和二一年三月三日結婚し、本件手術までは原告つる子は病気をしたことがないほどに健康であったものであって、同原告の本件手術による疾病の内容、程度及び同原告が前記のとおり頻繁に入通院を繰り返したこと並びに本件手術における被告の過失の内容、程度等斟酌すれば、同原告の肉体的精神的苦痛に対する慰藉料額は、四七〇万円が相当である。

(二)  原告芳男(一八〇万円)

右判示した原告つる子の慰藉料算定に当たり斟酌した事情、並びに前掲一で認定した諸事情を総合して考量すれば、原告芳男もまた著しい精神的苦痛を被ったものということができ、その慰藉料額は一八〇万円が相当である。

5  弁護士費用(原告つる子二四九万円、同芳男一八万円)

以上のとおり本件事案の内容、その難易、認容すべきとされた損害額、その他諸般の事情を総合して考慮すると、弁護士費用としては、原告各自の認容額の約一〇パーセントに相当する額に限り本件行為と相当因果関係に立つ損害とみることができるから、したがって、原告つる子につき二四九万円、同芳男につき一八万円が相当である。

なお、朝鮮人参等薬代については、《証拠省略》によれば、同原告が、右費用として、合計五六万六七〇〇円を支出したことが認められないではないが、右費用を支出したのは、前記各病院へ入通院していた時期であることを考え合わせると、右朝鮮人参等の薬が前記各病院で同原告に対しなされる治療のほかに、各原告の障害及び症状のために必須不可欠なものであったと認めることはできず、右費用と被告の前記過失行為との間に相当因果関係があるということはできない。

五  抗弁について

抗弁1の事実を認めるに足りる証拠は全くない。よって、爾余の判断をするまでもなく、抗弁は理由がない。

六  結論

以上のとおり、原告らの本訴請求は、被告に対し、原告つる子について二七三六万六一六五円及びうち二四三八万六二四四円に対する昭和五四年一〇月五日から、うち二四九万円に対するこの判決確定の日の翌日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において(なお、昭和五四年一〇月五日以降に生じた治療費四五万一四二一円及び交通費三万八五〇〇円の各損害に対する遅延損害金を請求しない趣旨であると解される)、同芳男について一九八万円及びうち一八〇万円に対する昭和五四年一〇月五日から、うち一八万円に対するこの判決確定の日の翌日から各支払済みまて民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、原告らのその余の請求は失当であるから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小川正澄 裁判官 吉戒修一 須田啓之)

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